ジャニとエイトと私とetc.

ぼっちエイターが、ジャニーズ(主に関ジャニ)について日々だらだらと書いてます。

ANN大倉くんと高橋くん〜2019.0907

タツからの手紙》
エイターの皆さんへ
今回、自分の考えをしっかりと伝えたいと思い、手紙を書いてきました。
聞いていただければ幸いです。
この度、亮ちゃんが抜けて関ジャニ∞が5人になるということになりました。
同期の亮ちゃん、安、丸とは出会って約22年。僕にとっては唯一ですね、幼馴染のような存在です。
たくさんの時間を過ごして喜び悲しみいろんなことを分け合ってここまで過ごしてきました。
僕たちは個々の想いが強いことや、強烈な個性が集まってるからこそ、今までたくさんぶつかってきました。
それでも、内が抜けてからずっと7人で走ってきました。
皆さんにたくさんの夢もかなえてもらって、たくさんの素敵な景色も見させてもらいました。
その時の僕はですね、グループとは永遠に続くものだと当たり前のように思ってました。
ですが、すばるくんの脱退ということで永遠はないものだと改めて知り、
安の病気で命について深く考え、濃い2年間を過ごしてきました。
7人が6人になる事。世間からは1人減るだけ。言葉にすればそれで終わりですが、
そんな簡単なことではありませんでした。
1人がいなくなることにより、絶妙に保っていたバランスが、急に崩れてしまいました。
そこから、安が動けない状態での5大ドームツアー。
どうにかみんなに気づかれないように頑張っていたのですけれど、
心は擦り切れて、限界に近づいていました。
そして、そんな状態で、この6人でこれからどうやってアプローチしていくんだ、と
いう会話を始めました。
でも今で精一杯なのに、来年のことなんて考えられないと、
2004年活動を始めてから、初めて立ち止まりました。
そこから、6人になった自分たちの方向性、来年はどうするんだと、
何も見えない中、手探りで話し合い、1度立ち止まろうとか、全員がグループを
閉じる覚悟もしたはずです。
そんな心の状態で話してもネガティブな意見しかでないものです。
それでも6人で時間をかけてたくさん話し合った結果、今この選択になりました。
チャレンジの方向性の違いです。
亮ちゃんは多くを語る人ではない分、これから自分の活動で体現していくはずです。
3月末にはですね、今の状態になることがきまり、
約半年、どうやったらエイターのみんなが安心してくれるんだろうと、すごく考えた結果、
いつかもう1度やりたかった47都道府県ツアーでみんなに直接会いたいとスタッフに申し出ました。
新しい僕らの方向性も示さなきゃいけない、複雑なエイターの子達に、これで進んでいくんだと決意、覚悟をみせなければいけない。
正直ハードルは高いと思います。
でも、傷だらけでも泥臭くても前を向いて上を目指していこうと、
僕らは元々あきらめの悪い人たちです。
こんな状態でも頑張って行こうと、今5人で結束しています。
まだ発表されて2日。
エイターのみんなも気持ちがおいついてないと思います。
素直に応援できない人もいると思います。
実際5人になって覚悟できていたはずの僕もぽっかり心に穴があいたみたいですけど、
すげーさみしいですね。
でも1歩ずつゆっくりでいいから、歩き出さなきゃいけないと、僕たちは歩き出そうと頑張ってます。
でも、みんなはまだ立ち止まっててもいいかなと。
後ろを振り返ってても全然大丈夫です。
時間が経って前を向いたときに、ちゃんと僕たちがそこに立っていられるように、
笑顔で迎えられるように準備をします。
やっぱり、色々あったこの2年間はめっちゃしんどかった。
でも改めて、僕は関ジャニ∞というグループを愛しているんだと再確認できる時間でもありました。
今まで夢を見て過ごしてきた15年間は、本当に宝物のようなキラキラした僕にとっての青春です。
だからこそ、15年を祝ってもらう、そして自分たちにとってもおめでたいLIVEを悲しいものにしたくない。
そして、エイターのみんなには心から楽しんで欲しいというところから、発表はLIVEが終わってからということに決めました。
十五祭のLIVEはですね、セットリスト細かい演出まで、初めてすべて僕が担当しました。
何一つ嘘はついてないつもりですし、全ての演出に意味を持たせたつもりです。
なので、メンバーは何も悪くない。
納得いかないことがあるなら、僕の演出が間違っていたということです。
責めるなら僕を責めてください。
ただ僕の横には仲間がいます。
重い荷物を分けて持ってくれる頼もしいお兄ちゃんたちがいます。
なので、大丈夫です。
泣きたいときは泣きますし、つらい時は「しんどい」ってちゃんと言います。
みんなも自分の気持ちには嘘つかず、5人になった僕たちに正直に向き合ってくれて大丈夫です。
スカパラ谷中さんが僕たちの1年前のことを歌にしてくれた『メモリーバンド』という曲の歌詞の中に
『僕ら人生というステージの上には  いつだって全員で並んでいる』
もうその通りでこれからもそれに変わりはありません。
僕にとってもグループのメンバーにとっても1度きりの人生。
今の選択が正解になるように頑張ります。
ただね、LIVEが終わったばっかりで、2日前に発表もあって、
正直今、みんなもそうかもしれないし、そうかもしれないっていうかそうだと思うけど、
心身ともにすごく疲れてます。
このラジオで優君のファンもいる中、こんな時間を設けさせていただき、ここまで語らせていただいて、本当にありがとうございました。
だから、いろんな記者さん達がいると思うんですけど、もうこれ以上はないので、
僕たち6人をもう追っかけないでもらえるとありがたいです。
そして、エイターのみんなには本当にすごく感謝しています。
あなたたちがいたから、この半年ずっと笑顔でいられました。
みんなも日々つらいこと悲しいこと、多分たくさんあるよね。
でもだからこそLIVEで笑顔で会えるあの瞬間が
すごい幸せだよね。
明日からお互い頑張って、またLIVEで会う時には泣いててもいいから、笑顔で会えるといいなと思ってます。
お互い元気もらって支え合って、ここまで来られたと自分では思ってるんで、
これからもこんな大変な俺たちだけど、よろしくお願いします。
これはもう本当に、メンバーも関係なく事務所も関係なく、
個人的な意見を言わせてもらいますが、
こういうことがあるといつも突然だから安心できないよね。
もう次こういうことがあるなら、僕はもう終わりでいいと思うし、ちゃんとお互い心の準備ができるよう、発表したいと自分は思ってます。
リスナーの皆さん、個人的なお手紙にお付き合いありがとうございました。
2019年9月7日大倉忠義より
 
タツ
ありがとうございます。
もうこれ以上のこともないですし、これ以下でもないですし、
素直に言わせてもらえる場所だったんで
どうすればいいやろうって思いながら、一人部屋でずっと書いてたんですけど。
【省略】
自分がしたいなってところで、映像とかいろんなところ全部ステージ
自分でこんないうのも嫌なんですけど、今回にに関しては自分がやるって決めましたね。
どんなことをやってもきっと3月下旬に色々決まってた部分もあったから、
いろんなことどんなことをやっても腑に落ちない子達が絶対でてくるし、
そんな完璧なLIVEを俺は作る事できないし、ただ全員で話し合ってより、
自分がそれを作ってることによって受け取り方が人によっては違うかもしれないけど、
自分が15周年のLIVEを作りたかったというのもありますし。
 
《優君》
東京ドームって大きな会場なんですけど、いままで一番近く感じました。
 
タツ
ステージもそうだし、どうやっったら一番全員の近くに行けるんだろうとか
この15年俺らはやってきてるけど、15年もしかしたら、17年18年応援してくれてる人たちも
懐かしく思えるような、いつファンになってくれた人たちも楽しめるような公演になって欲しかったし、
僕らがオープニングの映像で松竹座の知らないんですけど、全員が知らないんですよ。
1回松竹座の緞帳になる瞬間があるんですよ。リアルに松竹座のブーッてブザーがあるんですね。
オープニングの映像で。多分ほぼほぼ15年前の僕たちには会えてないんですよ。
でも、15年前の松竹座にみんなを連れて行きたかったんですよ。
っていうところから始まって、すばるくんも内もおったし、始まったときは
でもそれも嘘にはしたくない公演だし、みんなにとって近い公演にしたかったし、
最近はバンドも多かったから、バンドじゃない自分たちの魅力も知ってほしかったし、
関係者の方にはいろいろね、もっとバンド聞きたかったよって色々いわれたりとかったんですけど、
今回のことは申し訳ないけど関係者の為に作ってるLIVEではないので、
これ聞いて仕事するのやめようとか思わないでくださいね。
でも俺らとファンのためのLIVEだから、それをめちゃくちゃ大事にしたかった
自分達も楽しかったし、めちゃめちゃ楽しかった。
いろんな意見がおありでしょうが、僕らはすごく楽しくできたし、
6人で15周年LIVE十五祭を9月3日までやらさせてもらいましたけど、
ちゃんとやり遂げることができたかなと思いました。
 
【省略】